2017/11/05

預言が的中する確率

神の独り子キリストが、全人類の救い主として世に来られ、人としてお生まれになる。旧約聖書はそのことを紀元前の昔から既に預言していた文書です(全39巻)。この旧約聖書の中に、救い主キリストが来られる、と預言している言葉は全部で約350個有ると言われています。たいへんな数ですね。…え?そうでもない、ですって??でも、それらすべてが成就した、ということなら、それがいかにたいへんなことであったか、それはお分かりになるでしょう?…えっ!それも分からない??

もしかすると、皆さんの中には、キリスト到来の預言が成就した(当たった?)のは偶然だ、と考えている人が有るかも知れません。しかし、仮にそれらすべてが単なる偶然だとしたら、その的中率がどれほどのものか、考えたことはありますか?実は350ほどの預言がひとつ残らず正確に実現する確率は、余りにも天文学的な数字なのです。例えば、預言の数を減らして100にしてみましょう。その場合、仮に地球の内部がすべて空洞で、巨大なピンポン玉のようであったとします。その中を百円硬貨でギッシリ詰めます(本当はそれだけの数は無いのですがねww)。次に、誰かに目隠しをします。そして、無数の百円硬貨の1枚だけに印を付け、これをあなたが自由に隠します。そして「さあ、地球上のどこからでも、地下何千キロメートル掘っても構わないから、印を付けた1枚を見つけ出してください」と言って、その誰かさんの目隠しを外してあげます。すると、探し始めたその人が、やがて地球の内部のどこかで叫ぶのでした、「あった、あったぞ!」と。そして掘り出した1枚を確認すると見事大当たり!


え?そんな話、あるわけない??そうですよね、あるわけない。でも、それが100の預言がひとつ違わず実現する確率です。そうとすれば350もの預言が的中する確率とは、いったいどのくらいになるのでしょう。ボクにはもう計算する意欲も有りません。まさに、お手上げ。


こんなことを考えながら、クリスマスまでの一日一日を、旧約聖書を読んでお過ごしになるのはいかがですか。「救い主キリストは世に来られる」と紀元前に350回預言されていましたが、それが全部的中したのです。待望していた人々の喜びはどれほどであったことか(マタ2.10参照)。それこそ天文学的、いや、天からも地上からも溢れ出すほどの大きな、大きな喜びであったはずです。

2017/09/02

宗教改革とハロウィン

世界史の教科書に「ルター」というひとの名前がありました。カトリック教会の修道士でしたが、33歳のときに95箇条の提題を発表し、歴史に「プロテスタント」(=抗議者)という新しい流れを引き起こすことになった人です。その提題の内容はカトリック教会の旧来の教えを反駁するものでした。「贖宥状(=免罪符)を購入して他人の功徳に与ろうとしても、それでひとが救われるのではない。ひとは善い行いによって救われるのではなく、ただ信仰によってのみ救われる。だから、人は皆『イエス=キリストの命の代償によって罪を赦された』と信じれば、誰でも神さまに『正しい人』と見なして頂けるのだ」、そうルターは主張したのです。すると、ドイツを初めヨーロッパ各地でこれが支持され、ついには世界中に大きな影響を与えることになりました。それが宗教改革です。

ところが、おもしろくないのがカトリック。ルターが提題を発表した15171031日がヨーロッパでは「万聖節」(ハロウィン)という祭日であったことから、そのお祭りを教会行事として導入し、ルターの改革の記念日に水をさそうと致します。つまり、元はキリスト教のお祭りではないハロウィンを、カトリック教会が利用したのでした。ちなみに、このハロウィンは仏教で言う「お盆」のようなもの。元来、カトリック教会はマリア崇敬なるものがあったり、レクイエム(鎮魂歌)という死者への語り掛けも奨励されたりしている教会ですから、ハロウィンを自分たちの暦に取り入れることには何の抵抗もありませんでした。けれども、それらのことは聖書にはまったく書かれていないことなので、聖書のみを「書かれた神の言葉」と見なすプロテスタントの教会では、マリア崇敬もしないし、レクイエムも歌わないし、ハロウィンを祝うこともしない、というわけです。

しかし、ルターの改革から500年を経て、カトリックとプロテスタントという二つの枝に分かれたお互いは、幹なるイエス=キリストを信じる信仰においては一つであることを積極的に確認するようになりました。例えば、既にカトリックは贖宥状をやめていますし、最近ではルターが作曲した讃美歌(神は我が砦)でさえも歌うようにもなっています。また、プロテスタントの招きを受けて一緒に聖書の翻訳をするようにもなりました。横須賀小川町教会で使われている『聖書 新共同訳』(日本聖書協会)は日本におけるその産物です。宗教改革500年、教派の違いを超えて皆、共に、幹なるキリストに連なる共同体であることを覚えたいと思います。

え?ハロウィンパーティーをしても問題ないか、ですって??いいですよ。教会ではしませんが、ご家庭で楽しむのはまったく問題ありません。でも、そこでは鎮魂歌を歌うのではなく、ぜひ招待客の皆さんに、ルターの95ヶ条の提題の話をしてあげてください!

2017/08/02

できないこと、できること

本名はアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジという修道女がいました。恐らく、このひとは別名の「マザー・テレサ」という名のほうが良く知られていることでしょう。本稿では親しみを込めてこの「マザー」という表記を遣いましょう。

間もなく、マザーが亡くなってから20年が経ちます(享年87)。早いものですね。マザーが何で知られているかと言って、40歳の時に「飢えたひと、裸のひと、家の無いひと、体の不自由なひと、病気のひと、必要とされることのないすべてのひと、愛されていないひと、誰からも世話されないひとのために働く」という目的を掲げて、ローマ・カトリック教会の修道会「神の愛の宣教者会」を設立したことであると思います。そして、その目的通りに生き抜いたことが多くの人々に感銘を与え、幾人もの人びとの人生に大きな影響を与えもしました。そのエピソードは枚挙に暇がありませんが、今月はその一つを紹介します。

あるイギリスの女性がインドを訪ねました。コルカタ(旧カルカッタ)で仕事をしているマザーたちの様子を見学するためです。「死を待つ人々の家」というホスピスや、児童養護施設はもちろん、マザーが身動きの取れないヒンズー教徒にはガンジス川の水を口に含ませたり、ムスリム(イスラム教徒)にはクルアーン(旧コーラン)を読み聴かせたりしているのを、その女性は目の当たりにしました。すると最後に感嘆しながら「100万ポンドをやると言われても、わたしにはできません!」と叫んだそうです(今なら15000万円くらい)。すると、それを聴いたマザーも「わたしにだってできません!」と言いました。

この二つの言葉の違いがお分かりになるでしょうか。二人とも同じ「わたしにはできません」と言ったのですが、中身はまったく違います。見学した女性は「こんなにたいへんな仕事は、わたしには到底できない」ということを、100万ポンドにかこつけて、それを口実に嘆息したのです。しかしマザーは「お金のためであったなら、どんな大金を積まれても、わたしにはできない」という心で、自分が金銭には換えられないもののために働いていることを述べたのです。そうです。それは隣人の命のため、神さまの栄光のための働きでありました。

さて、わたしたちの人生は何のため、誰のための人生なのでしょう。自分の人生の目的を問う、これなら誰にでもできることです。そしてぜひ、そのヒントを、マザーの生涯に見出してください。その時、あなたの人生は新しくなる筈です。

2017/07/02

タイムマシンにおねがい

タイムマシンが欲しいと思ったことはありませんか。私は何度もそう思ったことがあります。「あんなこと言わなければよかった」、「こんなことしなければよかった」、と後になって後悔するとき、時間をさかのぼって、あんなことやこんなことをなかったことにしたいと思うのです。

タイムマシンはないけれど、過去を変える方法がある、と言ったら皆さんは信じますか。たぶん信じないと思いますが、でも、これは本当です。私はその方法を、西條剛央さんという心理学者が、東日本大震災でのボランティア活動の経験をもとに書いた『人を助けるすんごい仕組み』という本から教わりました。

たとえば、頑張って希望どおりの学校に合格できたとしましょう。それは、一見、良い出来事のように見えます。でも、もしそこで慢心してしまい、後は失敗続きということになったら、せっかくの合格も「ケチの付きはじめ」という悪い意味を帯びることになってしまいます。ところが反対に、たとえ希望がかなわなかったとしても、その辛い経験を生かして、後の飛躍につなげることができたなら、その失敗は、必ずしも悪い出来事ではなく、「あれがあったから、いまの私がある」という風に、積極的な意味を持つものに変わるでしょう。

過去に起こったことをなかったことにはできないけれど、過去に起こったことの意味は、その後、どう生きるかによって変えることができるのです。これを、西條さんは、「意味の原理」と呼んでいます。

聖書にも、そのようにして過去を変えた人たちの事例がたくさん出てきます。

ユダとペトロの人生を比べてみましょう。ユダと言えば、裏切り者の代名詞として知られていますが、実はイエス様を裏切ったのは、ユダだけではありません。イエス様が捕まったとき、弟子たちは一人残らずイエス様を見捨てて、逃げてしまいました。特にペトロは、自分だけは裏切らない、と大見得を切っていたのですから、その罪はいっそう重いと言わなければならないでしょう。

だから、ユダとペトロの間には、裏切り者という点では、ほとんど違いはありません。しかし、その後をどう生きたかが、ユダとペトロの裏切りの意味をまったく異なったものにしました。ユダは、裏切りという過去の重さに押しつぶされ、自死しました。だから、裏切りは忌まわしい裏切りのままです。これに対して、ペトロは、イエス様の赦しを信じ、立ち直らせてもらうことで、裏切りという過去を、勇敢な信仰者へと生まれ変わる起点に変えることができました。

イエス様の赦しは、ペトロにとって、過去を変えてくれる素敵なタイムマシンだったのです。

2017/06/04

花 の 日

6月は国民の祝日が一つも無い月です。けれどもボクが横須賀に来て初めて祝うようになった祝日があります。それは「花の日」と言います。

今から百五十年ほど前、1856年のこと。マサチューセッツ州チュルシイ市にある教会のレオナルド牧師が、6月のある日曜日を定めて少年少女のために特別プログラムを作り、子どものための集会を行なうことを考えました。すると、この提案に賛同する人々が集まり、1866年にはアメリカのメソジスト教会の年会(=教団総会)において「6月第2日曜日を『子どもの日』として教会行事に加える」ということを決議したのです。その位置付けは「少年少女たちの宗教教育を強調すること」にあったそうですが、同時に(アメリカでは)一年中で最も多くの花が咲く季節であることから、信徒たちが各々花を持ち寄って教会堂を飾り、礼拝後、その花を子どもたちに持たせて病院を訪問させ、病人を見舞い、また警察(派出所)や各社会施設を慰問したりしたのです。つまり、子どもの日であるからと言って、単に子どもを中心にしたレジャーを奨励するのではなく、奉仕と感謝の心とを子どもたちに実地で学ばせる機会にする、という配慮がなされたのでした。恐らく、そのためなのだと思います。やがて、この「子どもの日」は「花の日」とも呼ばれるようになり、子どもの信仰の成長を教会全体で覚えて取り組む行事が計画、実践されるようになったのです。

横須賀小川町教会でも6月第2日曜日を「花の日」と定めて、午後には社会施設等を訪問しています。それだけではなく、いつもは9時から始まる教会学校礼拝が主日礼拝(10:30〜)に合流する「総員礼拝」を行なうようにもなりました。大人も子どもも花を持ち寄り、礼拝室をカラフルに彩って、一緒に礼拝するのです。もちろん、それらの花は礼拝後、幾つかに束ねられ、社会施設に届けられるのです。ちなみに2017年は横須賀中央消防署に届けます。そして「いつも社会のためにありがとうございます」という言葉の花束も添えるのです。

教会の「子どもの日」は大人が子どものいいなりになる日ではありません。「何が子どものためになるか」ということを考える大人たちにより、子どもたちが信仰の実践を手習いする日です。だから、と言って良いでしょう。その日は最初に礼拝室を色とりどりの花で飾り、子どもも大人も一緒に神さまを礼拝するのです。どなたもぜひお越しください。


2017/05/03

ジョージ五世と2本の花瓶

ジョージ五世という王様をご存知ですか。2010年に封切られたイギリスの映画『英国王のスピーチ』では、主人公ジョージ六世の謹厳実直な父親として登場して来るひとです。それでもピンと来ない方には「現在のエリザベス女王のおじいさん」と言えばお分かりになるでしょう。

このジョージ(五世)について、興味深いエピソードがあります。ジョージは、その兄アルバートが婚約6週間目にして突然、肺炎によって亡くなったため、急遽王位継承者となりました。そしてその18年後、44歳で実際に王に即位するのですが、王の地位はジョージ王に実に多くの試練と苦しみとをもたらします。例えば、戴冠後すぐに議会法成立に尽力したのは有名なことです。その他、ドイツ皇帝もロシア皇帝も自分の従兄弟でしたが、これにとらわれることなく、第一次世界大戦やロシア革命など、国の内外の様々な問題に対処し、ずいぶんと苦慮しました。その結果、王としても人としても心に大きな痛手を負い、疲れを覚えてしまうのです。

そんなジョージ王がある日、ジョージ王はロンドン郊外の小さな町にある陶磁器工場を訪ねました。実はジョージ王は普段から陶磁器を見るのが好きで、部類の陶磁器マニアでもあったのです。展示場を訪れたジョージ王でしたが、そこで特別に展示されている2本の花瓶を見つけ、足を止めました。それら2本の花瓶は、形も模様もまったく同じ物でしたが、どういうわけか、1本は艶々していて躍動感に溢れているのに対し、もう1本はまったく艶が無く、たいへん見窄らしく見えたのです。不思議に思ったジョージ王が管理人に尋ねました、「どうして同じようで同じでない2本の花瓶が並べて置かれているのかね?」と。すると管理人が答えました、「理由は簡単です。1本は火で焼かれ、もう1本は焼かれていない物だからです」と。これを聞き、ジョージ王は悟ります。元は見窄らしいものでも、火で焼かれれば見違えるほどに輝かしくなれる、それは人間も同じではないか、と。それからというもの、ジョージ王は今まで以上に献身的に、国の内外にある諸問題に取り組んで、まるで苦労を買って出るような人生を送りました。そして、その生涯を通して精錬され、文字通り輝かしい人生を送った名君と称されるにまで至ったのです。

ちなみに、今上天皇の皇太子時代の教育掛を担当した小泉信三氏がこのジョージ五世の伝記をその帝王学のテキストとして用いたと知り(『ジョオジ五世伝と帝室論』参照)妙に納得した次第です。


2017/04/02

ピーター・ラビットと牧師たち

『ピーター・ラビット』と言えば、世界中で愛読されている創作絵本です。その愛すべき主人公たちの生みの親、ビアトリクス・ポターの人生に、二人の牧師が関わっていることをご存知でしょうか。

ひとりは幼い頃、湖水地方の別荘で知り会った、熱心な湖水地方保護活動家でもあったハードウィック・ローンズリー牧師です。ビアトリクスは、休暇中に捕まえた昆虫や小動物をロンドンに持ち帰り、弟と一緒に育てながら絵を描いていました。そのため、部屋には常にトカゲ、カエル、イモリ、ヘビ、コウモリ、そしてウサギやハリネズミ、ヤマネなどがいて、後にピーター・ラビットやベンジャミン・バニー(ピーターのいとこ)と言った、絵本の登場人物(?)のモデルとなるウサギたちも、ロンドンのペットショップで購入され、ビアトリクスの家で飼われていました。この小動物たちを見ながらビアトリクスが描いたディナーのプレイス・カード(パーティーのテーブルに置く、参列者の名前が書かれたカード)を目にした叔父の提案で、ビアトリクスはいくつかの出版社に挿絵を持ち込みます。すると、その内の1社にクリスマス・カードとして採用されることになりました。そしてその数年後、ビアトリクスの元家庭教師アニー・カーターの息子ノエル君に綴った、ウサギを主人公にした絵手紙が、子どもたちに大好評だったという知らせを受け、今度はこれを絵本にして出版しようかと考え始めます。そこでビアトリクスが助言を求めたのが、あのローンズリー牧師でした。当然ながら、ローンズリー牧師は絵本にすることを強く勧め、ビアトリクスは『ピーター・ラビットのおはなし』を出版するのです。するとあっと言う間に大人気、たちまちベストセラーとなりました。ローンズリー牧師が後押しをしてくれなかったら、この絵本は世に出ていなかったかも知れません。

そしてもう一人の牧師、それは何を隠そう、世界で最初にウサギたちの絵を手にし、その姿を見ることになった家庭教師の息子ノエル君です。実はノエル君は幼い頃、小児マヒを患って片足が不自由になっていたのですが、母親の信仰に影響を受け、ケンブリッジ大学で学位を取得し、ビショップス・コレッジで司祭になる勉強をし、1915年に英国国教会の聖職者に叙任されました。その日に至っても尚、ビアトリクスの絵手紙のおもしろさを忘れることはありませんでした。後に波止場地域の司祭になった時、1936年にノエル牧師はビアトリクスを訪ねます。麗しい再会でした。後日ビアトリクスはノエル牧師を「中年の元気な男性で、ケントの聖職者」と評しています。事実、ノエル牧師は精神遅滞の少女のための施設のチャプレン、教区司祭としても働き、生涯を通じて伝道者として働きました。ピーター・ラビットの背後に牧師あり、すなわち祈りありです。