2013/05/10

マツノギョウレツケムシ


ファーブルの『昆虫記』の中に“マツノギョウレツケムシ”(オビガの一種の幼虫。ただし、日本のオビガの幼虫は行列をつくらない)の観察が記されています。この毛虫は4月ごろ、土の中にもぐってサナギになるために、行列をつくって場所探しをする習癖があるのです。

ファーブルはこの毛虫をつかまえて、植木鉢の周囲をグルグルと回らせました。毛虫は前のものの後ろにくっついて一つの輪をつくることになり、その名の通り行列を始めます。鉢の下にはエサも置いてあるのですが、マツノギョウレツケムシは見向きもせず、ただ黙々と歩き回り、なんと8日間も休みなく、鉢の周りを回り続けたそうです。そしてとうとうその8日目に飢えと疲れとによって倒れ、輪が崩れてしまった、というのです。

8日間歩き続けるとは、それが虫の習性とは言え、毛虫の忍耐強さには驚かされます。また、それを見守ったファーブルの熱意にも心を打たれます。しかし同時に、8日間ぐるぐると同じところを回り続けた毛虫の人生(虫生?)に、果たして何の意味があったのだろうかと考えさせられてしまいました。

私たちは毎日を生きています。それは決して容易な生活ではなく、それぞれに自分の勤めや課題や困難と取り組みつつ、一所懸命に生きていると言えるでしょう。しかし、そうした毎日の歩みの中で、私たちは「何のために」「何に向かって」自分は生きているのか、と問い、またその答えを弁えているでしょうか。毛虫のように同じところをぐるぐる回るだけでなく、目標を目指して歩むことが人間として大事なことなのです。そして、その目標をどこに置くのか、ということが、私たちの人生を決定づけるのです。