2013/08/03

コルベ神父の奇跡

かつて長崎で伝道していたマキシミリアーノ・コルベ神父は、故国ポーランドに帰り、修道院長になりましたが、その3年後、第二次世界大戦開戦と共に侵入してきたナチス・ドイツ軍に捕らえられ、協力的でないという理由で、アウシュビッツ強制収容所に入れられました。

ある日、コルベ神父が容れられた第14号棟から一人の囚人が脱走しました。逃亡者は発見されず、そこで見せしめのために十名が飢餓室に入れられることになったのです。
指名された内の一人の若い男が「自分には妻や子どもがいるから許してくれ」と泣いて頼みます。その様子を見かねて身代わりを申し出たのがコルベ神父でした。

「彼は、ほかの連中と飢餓室に連れ込まれました。ひじょうに小さい、身動きができないような箱の中へ閉じ込められたまま、その日から水の一滴、パンの一片も与えられません。やがて当然、ほかの一緒に入れられた囚人たちは全部死にました。しかし、どうしたのか、この神父さんだけはまだ生きていたのです。

皆さんはここまで話すと、この時、何か奇跡が起こって、天からパンが来たとか、あるいは、この人が助かるような出来事が起こったと思うでしょう。しかし本当の奇跡というものはそういうものではありません。この神父さんはほかの仲間よりも永く生き残りはしましたが、ナチの親衛隊は、彼に石炭酸の注射をし、彼はそのまま死んでしまったのです。

私はこの神父さんが飢餓室の中へ閉じ込められた時、突然、空からパンが降ってきたり、あるいは天上から光が発し、ナチの目がくらんだというようなことが起こったとしても、それが奇跡だとは思いません。そんなことより、この神父さんが目の前で泣いている若い男のために、何の悲壮感もなく、『私は神父だから妻子がない、この人の身代わりにさせてください』と言って、その男のために飢餓室に入って死んでいった―この事実こそ、私は奇跡だと言いたいのです」(遠藤周作『私のイエス』祥伝社)。

奇跡を信じるかどうかは、信仰の本質ではありません。しかし、キリストを信じている人は、奇跡を体現できるのです。それは、誰かの身代わりになれるほどの愛をもって生きるようになる、という奇跡です。