2015/04/05

特攻機から新幹線へ

開業したばかりの北陸新幹線に乗りました。その車両は「W7系」と言い、とても快適な乗り心地でした。新幹線の車両は全部で16種類あるのですが、その最初の車両「0系」の開発には一人のキリスト者が大きく関わっていることをご存知ですか?それは三木忠直というひとです。三木は東大卒業後、大日本帝国海軍の技術士官になりましたが、間もなく第二次世界大戦が勃発。この戦時中に横須賀の海軍航空技術廠などで、ロケット特攻機「桜花」の機体設計を担当しました。その戦果が新聞で発表されると三木は感激し、桜花開発の成功を“賜物”とさえ呼びました。

ところが、その年の815日に日本が敗戦。三木は、自分が特攻機を設計して若者達を死に追いやった罪責の念に苦しみます。そこで、既にキリスト者となっていた母親と妻の勧めもあって教会に通い始め、「凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來たれ、われ汝らを休ません」との聖書の言葉に触れ(マタ11.28)、同年12月に中渋谷教会で受洗しました(後に鎌倉雪ノ下教会に転会)。それから国鉄に移り、「これこそ純然たる平和産業」と考え、車両構造研究室長として新幹線を研究するのです。そしてついに1964年、航空機の特徴である流線形を先頭に採り入れて空気抵抗を減らした「0系」電車を発表したのでした。

20005月、NHKの『プロジェクトX』という番組の中で東野尚志鎌倉雪ノ下教会牧師(当時)の説教のシーンが映り、何事かと思って見入りました。それは「執念が生んだ新幹線/老友90歳・飛行機が姿を変えた」という題の特集でした(第7回放送)。その中で三木さんがインタビューに答え、「とにかく戦争はもうこりごりだった。だけど、自動車関係にいけば戦車になる。船舶関係にいけば軍艦になる。それでいろいろ考えて、平和利用しかできない鉄道の世界に入ることにしたんですよ」とお話しになっていたことが今でも忘れられません。

特攻機から新幹線へ。北陸新幹線に乗りながら、私は戦争の悲惨さと三木さんの悔い改め、そして信仰に思いをめぐらせておりました。

ちなみに、今年420日は三木忠直兄就眠10周年記念日です。