2016/06/01

徳川家康に見るリーダー像


政治家の「秘書がやった」、社長の「部下がやった」というコメントをよく聞きます。まだ真相が明らかにされていない場合、上に立つ本人が責任逃れをしているようにしか思えないケースも多々あり、極めて残念です。

ところで、上に立つひとと言えば、大河ドラマ『真田丸』にも登場して来る徳川家康。今年6月1日はちょうど家康の没後400周年の記念日だったそうですが、この家康には「三河武士団」と呼ばれる優れた家臣たちがありました。ある日、家康の故郷三河国岡崎(現・愛知県岡崎市)に洪水が発生した時、川に架かっていた橋が流されてしまいます。家康はすぐに新しい橋を架けるよう三河武士団に命じました。ところが武士団は反対します。それは「橋を架けずにおけば、その時点で虎視眈眈と領地を狙う敵の兵を防ぐことができる。これは天の助けである」という理由でした。

家臣たちの真剣な意見に家康は喜んで耳を傾けていましたが、その上でこのように答えます、「いいや、住民のために橋は必要なものだ。何としても造らなければならない。だが心配には及ばない。他国の兵を防ぐために、私が川を頼る必要はない。なぜなら、お前たちを頼ればいいからだ」と。これを聴いて武士団らは感動。早々に橋を架けたということです。


その人の心がどこにあるか、何に向かって身を委ねているのか、それが分かれば、そのひとがどんな器であるのかが良く分かります。「器物(きぶつ)は何ほどの名物にても、肝要の時に用(よう)に立たず。宝の中の宝といふは人にて留(とど)めたり」(意:器物は所詮道具に過ぎない。最高の宝物はなんといっても人材である)と語った家康のリーダーとしての器の大きさに頭がさがります。


さて、まもなく国会議員の選挙ですが、国民はどんなリーダーたちを選出するのでしょう。私も選挙権を持つ一人ですが、その結果が楽しみです。もちろん、部下たちを信頼し、その身を委ねられるひとにこそ、リーダーになってほしいです。少なくとも、部下に責任転嫁をするひとにだけは、リーダーになってほしくありません。それは何も、国会議員だけの話でもありません。