2017/03/05

母の愛よりも深い愛

昔、あるところに、恋に落ちた男性がいました。彼は心から相手の女性を愛して、結婚を申し込んだのですが、その女性のほうは彼に対して、特別な思いを抱くことがまったくありませんでした。そればかりか、自分の利益のために男心をもてあそんで、愛情の証明として、彼にいろいろな要求を出したのです。つまり、彼女にとってはおもしろいゲームだったのです。そして最後に、彼に向かってこんなにもひどいことを要求しました、「私のことを誰よりも愛していることを証明してほしい。私の他に、あなたが愛している人が一人もいないことを証明してほしい。あなたの母親を殺して、その心臓を私のところに持ってきなさい」と。

男性は何週間も悩みましたが、ついに覚悟を決めました。なんと母親を殺し、その心臓を取り出して、彼女のところへ急いで持って行ったのです。ところが、余りに急いでいたからでしょう、森の中を走っていると転んでしまい、大事な心臓を落としてしまいました。転がっていく心臓を慌てて追いかけ、拾い上げて、再び行こうとしたその時、心臓の中から声がしました、「わたしの愛する息子よ。大丈夫かい?転んでケガをしなかったかい?」と。

これはインドで古くから伝えられている譬え話です。母親の我が子に対する愛情(ストルゲー)がいかに深いものであるかを良く表している話です。しかし、聖書が伝えている私どもに対する神の愛(アガペー)は、これよりも遥かに深いものなのです。「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ロマ5.6-8)。

キリストは、私どもが不信仰な罪人であった時、つまり神の敵でさえあった時に私どもの身代わりとなって死んでくださいました。「自分はどうしようもない汚れた心を持ち、誰からも愛される価値のない、またその資格もないダメ人間だ」と思っても、私どもは神の愛から漏れてないのです。どうしようもない、まさに誰にも救いようのない罪人のためにこそ、イエス=キリストが死んでくださり、神の愛を顕してくださったのです。私はぜひ、あなたにその愛を信じ、受け入れて頂きたいのです。