2017/07/02

タイムマシンにおねがい

タイムマシンが欲しいと思ったことはありませんか。私は何度もそう思ったことがあります。「あんなこと言わなければよかった」、「こんなことしなければよかった」、と後になって後悔するとき、時間をさかのぼって、あんなことやこんなことをなかったことにしたいと思うのです。

タイムマシンはないけれど、過去を変える方法がある、と言ったら皆さんは信じますか。たぶん信じないと思いますが、でも、これは本当です。私はその方法を、西條剛央さんという心理学者が、東日本大震災でのボランティア活動の経験をもとに書いた『人を助けるすんごい仕組み』という本から教わりました。

たとえば、頑張って希望どおりの学校に合格できたとしましょう。それは、一見、良い出来事のように見えます。でも、もしそこで慢心してしまい、後は失敗続きということになったら、せっかくの合格も「ケチの付きはじめ」という悪い意味を帯びることになってしまいます。ところが反対に、たとえ希望がかなわなかったとしても、その辛い経験を生かして、後の飛躍につなげることができたなら、その失敗は、必ずしも悪い出来事ではなく、「あれがあったから、いまの私がある」という風に、積極的な意味を持つものに変わるでしょう。

過去に起こったことをなかったことにはできないけれど、過去に起こったことの意味は、その後、どう生きるかによって変えることができるのです。これを、西條さんは、「意味の原理」と呼んでいます。

聖書にも、そのようにして過去を変えた人たちの事例がたくさん出てきます。

ユダとペトロの人生を比べてみましょう。ユダと言えば、裏切り者の代名詞として知られていますが、実はイエス様を裏切ったのは、ユダだけではありません。イエス様が捕まったとき、弟子たちは一人残らずイエス様を見捨てて、逃げてしまいました。特にペトロは、自分だけは裏切らない、と大見得を切っていたのですから、その罪はいっそう重いと言わなければならないでしょう。

だから、ユダとペトロの間には、裏切り者という点では、ほとんど違いはありません。しかし、その後をどう生きたかが、ユダとペトロの裏切りの意味をまったく異なったものにしました。ユダは、裏切りという過去の重さに押しつぶされ、自死しました。だから、裏切りは忌まわしい裏切りのままです。これに対して、ペトロは、イエス様の赦しを信じ、立ち直らせてもらうことで、裏切りという過去を、勇敢な信仰者へと生まれ変わる起点に変えることができました。

イエス様の赦しは、ペトロにとって、過去を変えてくれる素敵なタイムマシンだったのです。