2017/08/02

できないこと、できること

本名はアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジという修道女がいました。恐らく、このひとは別名の「マザー・テレサ」という名のほうが良く知られていることでしょう。本稿では親しみを込めてこの「マザー」という表記を遣いましょう。

間もなく、マザーが亡くなってから20年が経ちます(享年87)。早いものですね。マザーが何で知られているかと言って、40歳の時に「飢えたひと、裸のひと、家の無いひと、体の不自由なひと、病気のひと、必要とされることのないすべてのひと、愛されていないひと、誰からも世話されないひとのために働く」という目的を掲げて、ローマ・カトリック教会の修道会「神の愛の宣教者会」を設立したことであると思います。そして、その目的通りに生き抜いたことが多くの人々に感銘を与え、幾人もの人びとの人生に大きな影響を与えもしました。そのエピソードは枚挙に暇がありませんが、今月はその一つを紹介します。

あるイギリスの女性がインドを訪ねました。コルカタ(旧カルカッタ)で仕事をしているマザーたちの様子を見学するためです。「死を待つ人々の家」というホスピスや、児童養護施設はもちろん、マザーが身動きの取れないヒンズー教徒にはガンジス川の水を口に含ませたり、ムスリム(イスラム教徒)にはクルアーン(旧コーラン)を読み聴かせたりしているのを、その女性は目の当たりにしました。すると最後に感嘆しながら「100万ポンドをやると言われても、わたしにはできません!」と叫んだそうです(今なら15000万円くらい)。すると、それを聴いたマザーも「わたしにだってできません!」と言いました。

この二つの言葉の違いがお分かりになるでしょうか。二人とも同じ「わたしにはできません」と言ったのですが、中身はまったく違います。見学した女性は「こんなにたいへんな仕事は、わたしには到底できない」ということを、100万ポンドにかこつけて、それを口実に嘆息したのです。しかしマザーは「お金のためであったなら、どんな大金を積まれても、わたしにはできない」という心で、自分が金銭には換えられないもののために働いていることを述べたのです。そうです。それは隣人の命のため、神さまの栄光のための働きでありました。

さて、わたしたちの人生は何のため、誰のための人生なのでしょう。自分の人生の目的を問う、これなら誰にでもできることです。そしてぜひ、そのヒントを、マザーの生涯に見出してください。その時、あなたの人生は新しくなる筈です。