2018/07/02

闇を光に

近藤宏一さんは、まだ偏見が色濃く残る時代に、ハンセン病を生きた一人のキリスト者です。この名前は、実は本名ではありません。十一歳のとき、父親に連れられて、ハンセン病療養所長島愛生園に入園する際、家名を汚さぬよう名前を変えることを求められたのです。

入園当初、治まっていた病状は、赤痢に罹患したことをきっかけに急速に悪化し、ついに失明に至ります。視力を失ったことは、近藤さんを「苦しみのどん底へ落とし入れ」ました。そんな絶望の日々の中、ある経緯から読書好きの病友の聖書の朗読を聴くことになります。そして「ヨハネ福音書」第九章の決定的なみ言葉に出会うのです。イエス様は、道すがら、生まれつきの盲人に目をとめられます。「先生、この人が盲人なのは、誰が罪を犯したためですか」と尋ねる弟子たちに、イエス様はお答えになりました。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」。

近藤さんは、「全身を貫き通す一つの力を、意識」します。そして園内の教会に通い始め、やがて受洗。「聖書をどうしても自分で読みたい」という強い思いに駆られます。しかし乗り越えねばならない困難は、失明だけではありませんでした。ハンセン病に侵された指先には感覚がなく、点字を指で読み取ることは無理だったからです。近藤さんは、「知覚の残っている唇と、舌先で探り読むこと」を思いつきます。しかし点字に唇と舌先で触れ続けることは、「コンクリートの壁をなでる」に等しいものでした。唇は破れ、紙面はしばしば血に染まったといいます。「舐めるように読む」という譬えがありますが、近藤さんは、文字通り、そのようにして聖書を読んだのです。


イエス様から与えられた力は、近藤さんを同病者からなる楽団「青い鳥」の結成へと導きます。健常者には想像もつかない血のにじむような努力を重ねて、やがて楽団は、各所で演奏会を催すまでに成長します。楽団の演奏は、多くの人に感動と勇気を与えました。神谷美恵子もその一人です。神谷は、ロングセラー『生きがいについて』の中で、指揮者の近藤さんと楽団員のことをこう評しています。「指揮者の、必死と形容するほかないような、烈しく、きびしい指導のもとに全員が力をふりしぼって創り出す協和音。これほどすばらしい生命の光景を筆者はあまりみたことがない」。


なんという過酷な人生、そしてなんという祝福された人生でしょうか。私たちは、病が取り去られることを、奇蹟と考えがちです。そういう意味での奇蹟は、ここには起きていません。しかし近藤さんの人生には、闇を闇のまま光に変えられる神のいっそう味わい深い奇蹟が確かに起きている、そう思うのです。